2004年11月1日 合理化された言語
 「ら抜き言葉は日本語の乱れ」と言われて久しいが、 「認めるべきだ」という意見も出ている。それは次のような理由からだ。

 助動詞「れる」「られる」には、「可能」「受身」「自発」「尊敬」という働きがある。 しかし、一つの助動詞につき四つも働きがあってはややこしい。 そこで、「可能」の働きを明確にするために現れたのが「ら抜き言葉」というわけだ。 「見られる」は「可能」「受身」「自発」「尊敬」と四つの働きを示すが、 「見れる」となると、「可能」しか示さない。

 これは言語の合理化と言ってもよいのではないだろうか。 文法としては破格かもしれないが、そもそも文法というものは 人間が勝手に体系化したようなものであって、変えてはいけないという決まりはない。 事実、係り結びや已然形など、古典文法には現代文法には見られない特色がある。 変えて有益なものになるならば、どんどん変えてしまってもよいはずだ。

 「あまりの寒さに鳥肌が立つ」という表現も、 「そもそもは恐ろしさによって起こる現象だけを言ったものだ」と批判する人がいる。 (多くの辞書には既に「寒さ」も併記されているが。) そんな批判を避けるためかどうかは知らないが、「さぶいぼ」という表現がある。 大阪−近畿−関西・・・どこまで使われている範囲を広げればいいものかは定かではない。 「さぶ」は「さむ」から来ているものだろう。「B」「P」「M」は発声の仕組みが似ているため、 しばしば音が変わることがある。 「さむ」から来ているならば、「さぶいぼ」は恐怖より寒さによる現象という意味合いが強い。 「鳥肌」と「さぶいぼ」の両方を語彙として獲得していれば、 自然と恐怖に対しては「鳥肌」、寒さに対しては「さぶいぼ」を使い分けるだろう。 そんな考えもあって、上記の批判は「さぶいぼ」の語彙を持っていない 地域の人に対するものではないかと勘ぐってしまう。

 こうなると、「マクド」にも言及しておかなければ気が済まない。 「マクドナルド」を「マクド」と呼ぶ人にとっては、 「マック」は「マッキントッシュ」だけだが(「マック鈴木」は無視)、 「マクドナルド」を「マック」と呼ぶ人は、 「マッキントッシュ」も「マクドナルド」も両方「マック」で ややこしいことこの上ない(「マック鈴木」は無視)。 表記や発音に対して意味が多数あると意思疎通が難しい。 日本語はただでさえ、同音異義語や同訓異義語が無数にあるのだから、 なるべく合理化を図ってゆくべきではないだろうか。

 私は「マクド」派です。
亮:「まいうー」っぽく「ドクマー」とか言うとけばエエんちゃう?w
せんぷうじ:マクドと言う度にガッってされる自分わどーすればええですか゚・(ノД`)・゚・。
2004年11月4日 カタカナと外来語の関係
 中勘助の『犬』を読んでいると、 気になる日本語に出会った。それは、「焜炉」と「亜細亜」である。

 『大辞林』によると、「焜炉」は
(1)土製・金属製の、持ち運びのできる小型の炉。炊事用。木炭・ガス・電気など、用いる熱源に応じて構造が異なる。
(2)特に、七輪。

とある。通常「コンロ」と表記されるものである。 『犬』で「焜炉」の二文字に出会った時は、「コンロ」にはこんな漢字を充てるのかと思ったが、 『犬』が書かれたのは1922年。現在のような「コンロ」があるはずもない。 不思議に思って辞書を引いたところ、「土製」や「木炭」、「七輪」という単語が現れ、 また、和英辞書で「焜炉」を引いても「a portable cooking stove」や「a gas stove」、 「a gas range」や「a gas cooker」といった単語しか出てこない。 ここでやっとわかった。「コンロ」は恐らく外来語ではない。 何らかの理由でカタカナで表記されるようになっただけだ。 「西瓜」を「スイカ」と表記することが多いのと同じようなことだ。 外来語がカタカナで表記されることが多いため、 カタカナで表記されているものは全て外来語と思うようになってしまった。危険なことだ。

 「アジア」を「亜細亜」と表記するのは以前から知っていたが、 改めて目にした時、ふと考えてしまったのは次のようなことだ。 「亜」には、「次ぐ。準じる。第二番目」という意味がある。 「細」には、「ほそい」「こまかい。小さい」「くわしい」「とるに足りない。いやしい」 といった意味がある。「細」の「くわしい」以外はどれもマイナスイメージだ。 一体、「亜細亜」という表記は誰が考え出したのだろう。 音だけを借りたとしても、「あ」には他にも「阿」や「安」などがあるのだから、 「亜」である必然性はないし、「細」に至っては、 ひょっとしたら、中国音から取ったのかもしれないが、「じ」と読むのは難しい。 わざわざマイナスイメージの意味を持つ字を充てなければならなかった理由があったのか。 歴史的にも、文化的にも興味深いところである。

 ところで、今回用例を取り出してきた『犬』は、なかなか面白かった。 簡単な紹介がリンク先に掲載されているので、興味が出たら是非読んでほしい。 本当は、辞書を引いても出てこなかった「陽根」の意味を詳しく知りたかったりするが、 前後の文脈で大体想像できるので、そっとしておこう。
2004年11月11日 えろはかるた
 江戸時代に生まれた、いろは四十七文字と「京」の字を頭文字とする 子どもの正月遊びの一つであるいろはかるたには、 江戸かるたと上方かるたの二種類がある。 例えば、「い」は江戸かるたでは「犬も歩けば棒に当たる」だが、 上方かるたでは「一寸先は闇」というように、 それぞれの文字に割り当てられた言葉が異なる。

 そんないろはかるたの「さ」を見てみよう。 江戸かるたは「三べん回って煙草にせう」という言葉になっている。 対して、上方かるたは「竿の先に鈴」だ。 意味は「竿の先に鈴を付けて振ることをいい、転じて、騒がしいこと。 おしゃべりなことなどのたとえ」なのだが、 この言葉に国語便覧で初めて見た時に、 全く違う意味を想像してしまった私は人間失格ですか?



 T.M.Revolutionの新曲『ignited』が 11/15付オリコンシングルチャート初登場1位!おめ!!
2004年11月15日 頭の体操
 1×2×3×4×5×6×7×8×9×10×11×12×13を6で何回か割ると、 何回目で割り切れなくなるか答えよ。

 特に数学力は必要の無い問題です。 答えのわかった方は、考え方も一緒に書いて下さい。


 要するに、手抜き更新。
亮:実は小学校3年生の知識で解ける問題w
ま:計算機使わな解らんw
2004年11月17日 ごった煮更新
 まずは、前回の解答から。ポイントは、1〜13の数字を使って、6の倍数を作ることです。
2×3=6 … 6で1回割り切れる。
4×9=36 … 6で2回割り切れる。
6 … 6で1回割り切れる。
12 … 6で1回割り切れる。
 これ以上、6の倍数は作れないので、割り切れるのは5回まで。

 常々語っている喫煙の話だが、 ここでも 述べられていた。私の言いたいことを代弁してくれていると思う。 生まれてからならまだしも、生まれる以前から発病の確率を増やされるなんて、 たまらなく不幸だ。

 少し前の話になるが、11月5日の明け方に木星と金星が (地球からの見た目上)大接近した。 ここ ではロマンティックなことのように書かれているが、とんでもない。実は恐るべき事態を暗示しているかもしれないのだ。 安倍晴明も占星術の勉強に見ただろうと言われている『晋書』(中国晋代の歴史書)に、 木星と金星の接近について、「水害」「軍隊の敗北」「内乱」が起こる兆しであると書いてある。 「水害」は、今年日本列島に大量に上陸し、23号が壊滅的な被害を与えた台風のことか。 「軍隊の敗北」を、イラクに派遣されている自衛隊が攻撃され、 撤退を余儀なくされることと考えるのはそう難しいことではない。 そうすれば、国会は大混乱し、「内乱」状態となるだろう。

 こじつけだとか、非科学的だとか言うのは自由だ。
亮:派遣してしまった時点で、既にその意義は揺らぎ、解釈の問題となってますね。恐らく延期になりそうですが。
mia:自衛隊、撤退延期とかなったら憲法は無意味なものになるのでは・・・?
2004年11月19日 企画に協力
 「ぽぽす」さんが面白い企画をされています。 「こんなことに使わず自己啓発のために使えばきっと有効に使えたはず。」と仰るように、 自分だったら緑の岩波文庫やら新書などをごっそり買い占めといきたいところですが、 お金も時間も勇気(これ重要)もありませんので、他人様の企画でほくそ笑むだけにしておきます。

 ところで、こういう企画の際に「Amazon」 などのネットショッピングで買うというのは、一度に大量に買えるものの、 やはり道義にもとることなんでしょうかね。よくわかりません。
2004年11月21日 都会の歩き方極論
 毎週土曜日と日曜日に、諸事情で京都の四条通を歩いている。 四条通に限らず、河原町通、三条通など、概して人が多い。

 今日もその人が多い中を歩いていると、前方から歩いてきた 二人の女性が、不機嫌そうな顔で「人が多くて全然進まんなぁ。むかつくわー」とぼやいていた。 しかし、人が多いことにむかついてはいけない。自分もその中に含まれているからだ。 それよりも、歩き方が下手な人が多いことにむかついた方が自己矛盾が少なくて済む。

 急に立ち止まる。歩く速度が遅い。信号が青に変わっても歩き始めない。 他にも色々あるが、これらが歩き方が下手な人の条件だ。 車を運転する人なら気づくだろうか。前を走っている車にされたくないことと見事に一致する。 交通量の少ないところではそうでもないが、 交通量の多いところだと、これらの行為は事故に直結する。

 そこで、提案したい。一定以上の混雑を示す通りは、 運転免許証のような、歩行免許証がなければ、歩いてはいけないことにする。 無免許歩行は、罰金1万円以下の処罰。 そうすれば、渋滞も緩和されるだろうし、私のストレスも減る。

<本日の言いたいこと>
 題名通り、「極論」です。(←批判を逃れる最善策)
亮:(・∀・)イイ!今日もおばちゃんのフラフラ運転に悩まされたし・・・
ま:自転車も免許制で...
2004年11月24日 検索結果と戯れる
 前のサイトには、今でも様々な検索ワードで訪れる方がいらっしゃるので、 久々に遊んでみようと思います。

「アナルファック 注意 方法」
キシロカインなどの粘滑・表面麻酔剤を使った方がよいかと。

「ながら運転禁止」
急ブレーキで○ンコ噛みちぎられても知らないからね!

「古池 蛙 裏技」
上上下下左右左右BAでフル装備の蛙が登場。

「マネージャー ラグビー 恋愛」
ランニング中に迷子になってみたりするといいかもよ!

「この声が聞こえるかい 聞こえません」
反抗期ですか?

「芥川龍之介 ウィタ・セクスアリス」「太宰治 トロッコ」
微妙に違います。

「オウミ住宅 苦情」
ニューバージョンになっても黒沢さんが降板していないのを見ると、 苦情は少ないものと思われます。

「焼き肉を焼こう」
頭痛が痛い。馬から落馬。

「腰痛防止 標語」
セックスは 騎乗位の方が いいんじゃな〜い?(波田陽区風)

「松本修 アホバカ分布図」
これ、「共通語」とともにかなりの数の訪問者があるのだけれど、 今から2年も前に書いたへっぽこ感想文なので、 あまり参考にするのはよろしくないかと。 自分で元の本を 読んで、自分の意見を持った方がいいですよ。

「T.M.Revolution CDタイトル」
8枚目のアルバム 「vertical infinity」が2005年1月26日に発売決定! 「vertical」=「垂直」、「infinity」=「∞」。「∞」を「垂直」にすると、「8」! 勿論、言葉遊びだけではなく、その歌唱力も絶品! 新年早々楽しみです!(宣伝)
2004年11月25日 携帯メールと古典文学
 先日が誕生日だった友人に次のようなメールを送った。
「今日はお誕生日やね!また一つ大人の階段を上った、 まさにシンデレラの○○に、幸せを運んであげたいわ(*/∇\*)」
すると、こんな返事が返ってきた。
「いや、もうほんと想い出がいっぱいで。ありがd(・∀・)」

 誕生日とは全く関係ないが、「大人の階段」「シンデレラ」 「幸せ」「運んで」のキーワードから、 相手はH20の『想い出がいっぱい』を連想している。 もちろん、こちらも意図的にキーワードを入れたので、 思い通りの返答に喜びを覚えた。

 文学作品にも同じようなことが言える。 「本歌取り」や「パロディ」は言うにあらず、 小説の中に単語として出てくる古典作品やその一節まで、 先人の作品や概念を踏まえたものは枚挙にいとまがない。

 しかし、これらが成立するには、話し手(書き手)と聞き手(読み手)の間に、 その事柄に対する共通認識が必要だ。 共に1983年生まれの二人が1983年発表の『想い出がいっぱい』を 共通認識しているだけでも稀有なことなのに、 現代の我々が古典に現れる他の作品のことを理解できているかというと、 専門的に学んでいる者でないと、かなり難しい。

 ただ、それを認識できたとき、時代を越え、語り手と一体化できる。 ぱっと目の前に新しい世界が広がるのである。 だから、色んな知識を身につけておくにこしたことはないし、 共通の趣味や似たような考えを持つ人間同士は惹かれ合うのだ。
2004年11月27日 指の話−発問編−
 10年間ひきこもりをしていた女性が、ドキュメント映画に出演することで ひきこもりを克服したというニュースを観て、 ひきこもり自体の評価やそれに対する考え方は別にして、 10年間もひきこもって生活できる日本はまだまだ平和だなと感じた。 発展途上国じゃこうはいかないよ。


 問題を出します。なるべく調べたりせずに、直感で答えてください。 でも、理由も書いてほしいというわがままっぷり。 次回の更新で、正解と解説を書く予定。

次のうち、間違いはどれ?(1つとは限りません)
1.「親指」を「大指」と呼んでいた時期があった。
2.「小指」を「子指」と書いていた時期があった。
3.「薬指」を「紅差し指」と呼んでいた時期があった。
2004年11月29日 指の話−解説編−
 正解は、1と3(何もなかったかのようにこう書き始めるのが一番虚しい)。

 言葉というものは、様々な要因で移り変わる。 例えば、昔は「バス」のことを「乗り合い車」と呼んでいたが、 今ではお年寄りでさえ「バス」と呼ぶ。「バス」という言葉が伝わった時、 当時の人は「短くて言いやすいから、これからは乗り合い車をバスと呼ぼう」と思ったのだろう。 呼びやすいというのは、かなり大きな要因となる。

 「紅差し指」というのは、昔の化粧の一つである「紅」を塗る指だったからである。 しかし、洋式の化粧が広まるにつれ、指を使って化粧をすることは少なくなり、 指自体が使われなくなるとともに、言葉も使われなくなった。 現在でも使っているのは、舞妓さんなど実際に和式の化粧に関わっている人だけではないだろうか。

 それでは、「薬指」はどうか。これは薬を塗ったり混ぜたりすることからこう呼ばれるのだが、 わざわざ薬指を使って薬を塗っている人はいるだろうか。人差し指の方が塗りやすい気がするし、 最近ではスティックタイプの薬も増えてきているので、この言葉も廃れてもよさそうなものだが、 なかなかそうはいかない。恐らく、「薬指」という言葉が無くなった時に、 他の呼び名が無いから、存在し続けているのだと思われる。 実は「無名指」というピッタリな呼び名があるので、それに取って代わるかと思いきや、 「薬指」の方が一般に浸透しすぎてそうもいかないようだ。

 「親指」を「大指」と呼んでいたのは確かである。 しかし、どっちが先に呼ばれ出したのか、「親指」の由来は私の調査不足でよくわからない。 「母指」「拇指」と呼ぶのが関係あるのかもしれない。 「親指」と呼ぶくらいだから、字のイメージにつられて「こゆび」は「子指」のはずと 考える人もいるらしい。しかし、これは「呼ばれていた」の域には届かず、 ただの誤用に終わってしまっている。「大指」に対して「小指」なのだが、 どういうわけか「親指」が勢力を拡大してしまい、わかりにくくなっているのだ。

 言葉は、最初は誤用であっても半数以上の人が使うようになれば 誤用ではなくなるし、その反面、方言なども守っていかなければならない。 今回挙げた「使われなくなった」言葉も、方言のうちに残っているかもしれない。 一応、一般的な話ということでご了承願います。




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