2005年1月1日 | 迎春 | |
あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
大晦日は、格闘技などを見ながら、従妹二人(短大1年、中学2年)と弟(高校3年)と 麻雀をやってました。受験生を苦しみから解放させてあげたのか、それとも 更なる苦しみへと誘ったのかは定かではありません。尤も、私以外は初心者なので、 点数関係なく、ルールの習得が主でした。 ところで、麻雀の数の数え方は、中国語で、1〜9までを 「イー、リャン、サン、スー、ウー、リュー、チー、パー、チュー」などと言います。 中国語のことはよく知らないのですが、日本では数字の数え方は二種類です。 「いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち、きゅう」の漢語と、 「ひ、ふ、み、よ、いつ、む、なな、や、ここの」の和語です。 こうやって見てみると、「漢語」の「漢語」たる所以がよくわかると思います。 また、ハングルにも数字の数え方が二種類あって、 「イル、イ、サム、サ、オ、ユク、チル、パル、ク」の漢数詞と、 「ハナ、ドゥル、セ、ネ、タソ、ヨソ、イルコプ、ヨドル、アホプ」の固有数詞です。 同じように、「漢数詞」の性質がよくわかることでしょう。 ただ、中国がかつて強大なまでの勢力を持っていたことは理解できたのですが、 麻雀の数の数え方に慣れすぎて、ハングルの漢数詞の暗記に支障を来してしまったのは、 私に全部責任があるのでしょうか?混同してとても困るんですが。
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2005年1月3日 | 思いこみによる弊害 | |
大阪日刊スポーツの記事より。
奈良市の小1女児誘拐殺害事件で、 誘拐容疑で逮捕された元毎日新聞販売店員の小林薫容疑者(36)が 逮捕2日前の12月28日になじみの飲食店で「おまえが犯人やろ」と指摘され、 反論せず退散していたことが2日、分かった。 販売店近くの飲食店の男性経営者によると、小林容疑者は28日午前3時ごろ、 朝刊を配達。当時店は営業中で、ドアを開け、カウンターに朝刊を置こうとした小林容疑者に、 常連客の1人が「おまえが犯人やろ」と怒鳴った。小林容疑者は配達の際、 世間話などをしていたというが、この時は反論もせず、慌てるように去ったという。 小林容疑者は別のなじみの飲食店では「別れたヨメとの間に女児と同じぐらいの娘がいる」として、 犯人と疑われることに激しく反論していた。 販売店周辺では12月20日ごろから警察車両が目撃されるなど緊迫。 不安に思った地域住民の1人が奈良市内の霊媒師に犯人像を占ってもらったところ 「黒ぶちメガネ、36歳ぐらいの男」との話が販売店周辺で広がっていた。 常連客はその“犯人像”を聞き、小林容疑者を「犯人」と指摘したという。 小林容疑者は黒ぶちのメガネをかけていたこともあった。 28日の段階では、小林薫はまだ容疑者ではない。 それにも関わらず、常連客の一人は、占いという非科学的な犯人像の確定作業、 しかも口コミという不確かな情報伝達経路により小林薫を勝手に犯人と決めつけた。 道徳的に考えても、法律的に考えても、この常連客の行動は明らかな人権侵害 ではないのか?結果として小林薫が容疑者であったことは事実かもしれないが、 冗談ならいざ知らず、恫喝までしている。これだと、周囲の環境が劣悪だから、 犯行に及んでしまったのではないかと勘ぐってみたくもなる。 加害者の人権を全面的に認めろと言っているわけではない。 小林容疑者が捕まるまでの地域住民の不安は相当なものだっただろう。 ただ、物事には限度というものがあり、その限度を超える行為に関しては 厳しい目を向けないと、取り返しのつかないことになってしまう。 加害者だから絶対悪、被害者だから絶対善という考え方はあまりに危険だ。
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2005年1月10日 | お笑いブームに騙されるな | |
世は空前のお笑いブームという。
テレビを点ければお笑い芸人の出演していない日は無いと言っていいだろう。
しかし、個人的には大して面白くもない芸人がネタを浪費しているだけとしか映らない。
量が多いだけで質は極めて低いのである。
ちょうど大量生産される衣料品が長持ちしないのと同じ原理だ。
ところで、私がこう思ってしまう理由はどこにあるのだろう。 朝日新聞社が実施した「日本人と笑い」という世論調査では、 「お笑い番組などを見て東京の笑いと大阪の笑いとでは、どちらが好きですか」という質問に対し、 「東京」が26%、「大阪」が64%という結果が出ている。 また、その理由は「東京」では「上品だから」が3%、「庶民的だから」が6%、 「スマートだから」が11%、「本音が出ているから」が4%だった。 反対に「大阪」では「上品だから」が1%、「庶民的だから」が31%、 「スマートだから」が2%、「本音が出ているから」が28%だった。 こうやって見てみると、「大阪」の笑いが全国的に支持され、理由としては 「庶民的だから」と「本音が出ているから」が突出していることがよくわかる。 庶民的ということは、文化が醸成される最も大きな原因だ。 過半数の人間が認める笑いを幼い頃から日常的に浴びている 「大阪」の人間にとっては笑いは文化である。 そんな土壌ではブームなど関係ない。 ブームが起こる前から笑いの価値はわかりきったものであり、 仮令ブームが過ぎ去っても、笑いを捨てることはないだろう。 ギスギスしてストレスの溜まりやすい現代社会、 私は「大阪」の人間というアイデンティティを大切にして生きていきたいと思う。 という文章を「第26回ABCお笑い新人グランプリ決勝」という番組を観ながら書いているのでありました。
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2005年1月17日 | 何が不公平を生むのか | |
16日に実施されたセンター試験の「国語1」で、第一学習社の教科書に
掲載されている評論文が出題された。それに関して、今朝の朝日新聞には
代々木ゼミナールの話として、現代文の専門家の間ではよく知られた文章であるとし、
また、駿台予備校関係者の次のような言葉が掲載されていた。
「知らなかった」では済まされない。受験生にとっては著しい不公平だ。 よく知られた文章であるならば、予備校では教材として 扱うこともあるのではないだろうか。他の科目についてはよくわからないが、 国語に関しては、過去問にあたるより、 ある程度有名な作家や作品に触れていた方が、効率がいいからだ。 ところで、予備校に通えるのは、ある程度親の経済力が恵まれた子どもに限られる。 「学力の二極化」が進んでいるのも、これが大きく反映している。 これこそ不公平の極みなのではないだろうか? 本来子どもには、親の経済力には関係なく学ぶ権利が与えられるべきである。 しかし、現状はそうではない。予備校に通える子どもには有名な文章に 触れる機会を多く与えられ、通えない子どもは、それこそ独学で臨まなくてはならない。 予備校関係者は、自らの存在自体が受験に関して不公平を生んでいることに 気が付いていないようだ。
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2005年1月28日 | 自由の中で何をなすべきか |
ようやくテストが終わりました。レポートで、読むに耐えると思われるものが書けたので、
一部修正して公開してみます。
内容は、以前にも紹介した上東門院彰子の歌に関連するものです。
読んでも面白くはないと思うので、感想は別に要りませんが、
書き方がまずい等がありましたら、教えて下さい。
あと、拡張子は「doc」ですので、見られない方は申し出て下さい。htmlにします。
他のレポートも1回生の時に書いたものよりかは質が上がったと思うけど、
とりあえず見送ろう。
長い長い春休み。採用試験までにまとまった時間が取れるのは、これが最後。 これまでにまともな受験勉強をしたことが無いので不安はありますが、 やれるだけやってみます。 日記はボチボチ更新するよ。 |